education

大学院で学ぶこと。大学院に行くメリットは?その1 まずは大学院とは。

先日、県外の実家方面の友人から急にメッセージが入りました。大学生の息子が大学の先生になりたいといっているんだけれど、身の回りにそれに近い仕事をしている人がいないから話を聞かせてくれないかとのことでした。ちょうど年末で実家に帰るところだったので、了解して帰って話をしたのですが、せっかくなので少しまとめておこうと思います。ちなみに、ここではひいらぎやが博士号を情報科学分野でとり、なんとなく研究畑にいる中での知見を述べていますが、分野が違えば話はずいぶん変わると思いますので、一つの考え方として読んで下さい。

education

大学院とはそもそも何か

大学院というのは皆さんも名前だけはしっていると思うのですが、じゃあそれってなに?というところまでは実は曖昧かも知れません。大学の研究室にはいわゆる大学生も所属していますね。

まずは、義務教育からの流れを見てみましょう。日本では小学校から義務教育が始まります。初等教育を受けている小学生は「児童」、中等教育を受けている中学生と高校生が「生徒」、そして高等教育を受けている大学生や高専生が「学生」です。大学院生も高等教育を受けているので「学生」となりますね。ちなみに専門学校に通っている人も「学生」。義務教育が始まる前の子供は幼児です。

さて、大学院には教える側の先生と教えられる学生がいます。このくくりでは大学院生も大学生と同じ学生なので一緒ですね。大学では、教育と研究を行っています。大学の先生はこの両方を担当しています。それぞれの比重の重さは先生によって違いますね。

本来は教授は知識や技術を後進である学生に教えて授けている人のことですね。ですので「教授する」という意味では大学の先生でなくてもかまいません。ただ、役職として大学の高位の先生を教授とするという規定があります。

教授をはじめとする大学の先生は教育とともに研究を行っていると述べました。考え方としては教育を受けるのは学部まで、自身で研究をするのが大学院になります。すでに学部といってしまっていますが、4年制大学等での4年間の一般的な大学に行っているのがこの学部生、そして大学院に通っている人が大学院生(院生)と呼ばれます。

「教授をはじめとする大学の先生」としましたが、大学の先生には何種類もあって、「教授」「准教授」「講師」「助教」「助手」などがあります。以前は「助教授」という役職がありましたが、教授を助けて研究や教育をするというようなイメージがあり、実際にはそうではなく自身の研究を独立して行っているという意見から「助教授」という名前が廃止されました。

同じ考え方で「助手」も本当に教授と准教授の研究のお手伝いをしている「助手」と自身の研究や教育をしている「助教」に分離されました。教育および研究を行っている先生はその実績で「教授」「准教授」「講師」「助教」と並びます。

この先生方と一緒に研究や教育を行っているのが大学院生です。先ほども書いたとおり、教育を受けているのが学部生までで、自身で研究や教育を行っているのが大学院生です。

博士課程と修士課程の違いは

大学院生には博士課程の学生と修士課程の学生がいます。博士課程と修士課程は大学によっては博士後期課程と博士前期課程とよばれることもありますが一緒ですね。

修士課程(博士前期課程)を修了すると「修士」の学位が授与され、博士課程(博士後期課程)を修了すると「博士」の各位が授与されます。ちなみに4年制大学を修了すると「学士」の学位が授与されていますが、もっていてもあまり気にされている方はいないかも知れませんね。結構みんな「学士」もってますよ。実は短大だと「短期大学士」というそのままの名前の学位が授与されていたり、「専門士」などいろいろあったりします。

さて、修士課程でやることと博士課程でやることの違いですが、基本的には研究をやっているという意味では同じです。ですが当然そのレベルがちがいます。どう違うのでしょうか。

この後、修士課程に所属している学生を修士の学生と、博士課程に所属している学生を博士の学生と呼びます。現場でもこう呼ばれている事が多いのでは無いでしょうか。他にはB、M、Dというアルファベットを使うこともあります。それぞれBachelor’s Degree、Master’s Degree、Doctor’s Degfreeの頭文字をとっていて、学士号、修士号、博士号を示しています。B4というと学部4年生、M1というと修士課程1年生、D3というと博士課程の3年生です。

修士課程の研究

修士の学生は学部での教育が終わって初めての研究を行います。

学部生も卒業研究を行いますが、基本的には教育を受ける立場で実施する研究ですから、与えられたテーマに沿って状況の調査や大学院生の実験の一部を担ってその内容をまとめることが多いのではないでしょうか。実験の行い方や文章のまとめ方の練習と言った意味合いがつよいかもしれません。ただ、このあたりは先生の考え方に強く依存するので、目的や求められる品質は指導教官によって大幅に違うと思います。

これに比べて修士の学生は、教育の場から自身で研究を進めるという立場になりますので、まずは自身で研究テーマの提案を行わなければいけません。どのようなテーマが研究として成り立つのかを自身で見つけ出す必要があるのです。世の中には当然いろんな課題があって、それぞれは研究のテーマとして成り立ちます。しかし、いざそれを見つけて研究提案書を書き上げるのは驚くほど難しいものです。初めてのことですからね。

自分の専門性の中で解決できることを見つけ、与えられた条件(所属する研究室で使える機器や研究機関)で結果をだせるだろうような解法の目鼻をつけた上でまとめなければいけません。しかも周りには当然同じようなことを考える人は山ほどいるはずですし、自分が最初に考えつくなんて言うことはありえないので、すでに発表されていることも多いはずです。

膨大な論文などを読み、その隙間を見つけなければいけません。これが最初のハードルです。研究テーマをみつけることは簡単ではないのです。ただ、修士号に値する研究というのは、何かしらを自身の新たな視点でまとめることです。大学院の先輩や先生方は常にそういった情報にアンテナを立てて自分の研究をしているので、修士号に値するような研究のネタはいくらでも持っています。研究室によっては修了した先輩のネタを継続してほしいとそのままテーマが降ってくることもあります。これも研究室次第ではありますね。

そして、テーマ設定後は指導教官の先生や先輩方に進捗を確認してもらいながら研究をすすめます。先ほど「解法の目鼻をつける」と書きましたが、解決のための仮説に向かって考え方や実装を進めていきます。情報科学の分野では、やはりプログラムを実装して動かしてみることで「定量的」にそれが正しいと言うことを確認することが多いと思います。

論理的にそういう性質を持つはずだという評価のことを「定性的な評価」といいます。そういう風に作ったんだからそうなるでしょうというやつです。それに対して「定量的な評価」というのは実際に動かしてみてデータを取ってみることを言います。

自分でテーマを決めて、解法の仮説に向かってプログラムを作っていってその上で動かしてみて例えば性能がこれくらい良くなりましたとか、という結論で論文をまとめるのが一般的です。ここまでで国内の研究会などで数度発表することになると思います。

大学によっては学部生からテーマを決めて進めている場合もあるのでそういう場合は国際会議もがんばってみようという話になるかも知れません。

博士課程の研究

博士課程の研究は修士研究とはレベルが違います。指導教官と相談をしてすすめていくのですが、博士号をもらうということはどういうことかというと、「世の中に新しい自分の研究フィールドを創り出したか」が求められます。

これまで知られていなかった新しい分野を自身で切り開かなければいけません。この点において、指導教官よりもその分野では学生の方が専門性をもっているという状況になります。

修士の研究は一つの事象に着目し、それを整理していくということでした。博士の論文というと修士号の研究ボリュームを一つの柱だとすると3〜4つくらい関連がある事項をとりまとめ、そしてもはや本とも言えるべき博士論文を書くことになります。日本の大学院に提出されたすべての博士論文は国立図書館に置かれていますので、興味があるかたは見に行くと良いかも知れません。

「はじめに」の章では「人類の歴史は〜」みたいな感じで非常に壮大なテーマですすめているような論文もたくさんあります。そういうレベルでのストーリー設定が必要となってくるのです。

全体のストーリー自体は博士の学生自身で作り上げていく物ですが、研究の一つ一つのトピックを自身だけでつくっていくというわけではありません。博士号の取得には学生の指導ができるということも求められます。修士や学部生と一緒に研究を進め、博士論文の一部は別の学生の修士論文をさらに進めたものを組み込んでいくということもあります。もちろん指導教官の先生とは密接に研究の方向性や博士論文のストーリーを詰めていくことになります。

さて、とはいえ、D1から3年後に提出する博士論文のストーリーなんて見えているわけはありません(笑)

大学での学位申請のための提出書類もおそらくそのあたりを気にしていて、入学一年後に出す書類とか、学位申請の一年前に出す書類などがあり、そこでステップを踏んで進めていくことになるはずです。

入学一年前とスタート時を起点にした数え方と、学位申請の一年前に出す書類と終了時を起点にした数え方でかきましたが、修士も博士課程もそうですが留年はよくあります(笑)。それぞれ2年と3年で終わらなかった場合ですね。特に情報科学では、実際に理論をプログラム実装に落としてそれを運用してみないと結果がとれないというケースがあり、なかなか時間がかかるものです。医学や化学系も物理的に時間がかかってしまう実験などがあることだと思います。

博士課程の研究は自身のフィールドを作り上げなければいけないという話をしました。この研究は正直自分が好きで興味があることしかできません。ですので、最初は好き買ってやりたい研究をやりそれを論文にして発表していく。そして最終的にそれをむりやりつなげて一つのストーリーにするというケースもあります。とはいえ、余りにばらばらなテーマだと新たな分野を切り開くという意味ではすごい論文になる芽がありますが、逆にうまくまとめられないと支離滅裂になってしまうこともあります。

博士号の授与にあたっては大学内に学生ごとに複数の先生方からなる審査委員会が設置され評価が行われます。その際に、外部の評価がしっかりされているのだという内容は必須になります。

そのために、論文誌(ジャーナル)といわれる学術雑誌への採録が2本、国際会議での発表が1本必要といわれることが多いです。論文誌も国際会議もレビュアー(査読委員)という方々が提出した論文を審査し、学術的な意味があるかどうかの審査をおこないます。採録されると言うことは、大学からみると、所属している大学内での評価だけではなくて、外部の人たちからみてその研究に意味があるのかが評価されたということになります。

一般的には国際会議よりも論文誌の方が格が上で、ジャーナルは一つの研究をある程度まとめきった論文、国際会議は一つのトピックを切り出して論文として発表することが多いですが、ジャーナルもピンキリ、国際会議もピンキリなので、上位の国際会議に通すのは国内の小さなジャーナルに通すことよりもはるかに難しいです。日本の大学においては国際会議は英語での議論ができるというエビデンスのためとする考え方もあるので、こういった場合はポスター発表という一レベル低い発表でも認められる場合があります。ただし、一部の大学では審査委員会の決定がすべてで、ジャーナルも国際会議も必要ないこともあったりします。必要とする論文数などは、先輩や先生に確認となります。

長くなってきたのでこの記事はこのあたりにして次に続くことにしますね。

 

 

 

 

 

education
最新情報をチェックしよう!