一番になるということ

一番になると言うこと。一番になることを求めなければ十番にもなれない。

数年前、政治家が一番にならなければいけないんですか?という発言をして話題になっていましたが、数日前に少し話した内容を。

ひいらぎやは専門職に近いようなことをしていて、仕事上どうしても「他と違う優れた点」を求められます。専門職で無くても実は同じで、同じ製品であれば価格が安いという優れた点を実現したものが求められ世間に認められるわけです。

とはいえ、ある分野で一番になるなんてことはそうそうできません。難しいし、仮にそうであればある分野の担当者は一人だけいれば良くなってしまう。もちろん一人がもっている時間は有限なのでそんなことはあり得ないのですが、分野によってはもしかしたらそういうことがあるかも知れません。

とはいえ、人は認められたい生き物であって、だれかに何かを認められたい、一番とまで行かなくても上手だねとかそういう言葉をかけてもらいたいと思っているのです。そうなってくると今度は周りが優れた点を求めてくるのでは無くて、自分自身がそうありたいと願うのです。ただ、とはいえ、ある分野で一番になるなんてことはそうそうできないのです。

先日のお話し

この間そんな話をしたのは、先日独立して個人事業主を始めた服飾デザイナーさん。これから事業を立ち上げていくのにどのような売りをアピールしていくかを気にしているようでした。勤め人のひいらぎやから見たら何かを0から作り上げられる技能を持った人は単純に尊敬してしまうのですが、やはりそれで飯を食っていくことを考えればなかなか深刻な悩みなのでしょう。

ある分野で一番になるなんてそうそうできないのですが、そうであればどうするかです。ひいらぎや的には、では新たな分野を作ってしまえば良いと思っています。人のバックグラウンドが全く同じと言うことはまずありません。仕事の概要だけを見ればそうかもしれませんが、趣味を持っていたり、得意分野がちがったり、考え方も人それぞれです。そういうものを掛け合わせて新しい特色をつけた商品を作り上げればそこに先人はいないので、自身が一番になれるはずです。

というのはもちろん理想論です。でも、考えることはすぐにできます。一番好きなことと仕事を掛け合わせると何か新しい世界がひろがってはこないでしょうか。今のインターネットの時代、ヒントらしきものはおそらくその辺に簡単にころがっているのでしょう。また、価値のあることを始めた際にその広がりが早く、地理的に遠いひとにもとどけられるのが現在の利点です。

という、偉そうなことを言っていますが、自分自身に言い聞かせるつもりでした。物事の変遷がとんでもなく早い時代、自分の視野を広げ、新しいことを常に考えていかなければ生きていけない世界なのかも知れません。

ただ、一番を目指して、自分の立ち位置をもとめて、それでがんばっていられるうちはいいですが、不安を感じてしまった人たちにはあなたのバックグラウンドを持っている人は世界に一人もいなくて、それを自分が目指すところに掛け合わせれば、きっとそれはあなた唯一のことにできると思えれば少しは心が軽くなるのかも知れません。

一番にならなくてもいいのか、ならなくてもいいけれど目指さなければいけない

さて、最初の問に答えていませんでした。一番にならないといけないのか。いいえ一番にならなくても良いです。一番というのは同じ物差しの上にのっている人たちだけで共有できる尺度でしかはかれません。当然ですけど社会人として生きていく中で同じ尺度にのっていることはあまりないです。ただ、それでは比較をするのが難しく、戦略がとりにくいので数字に落とし込むわけです。成績とかね。それはそれで大事ですけれどこの多様化する世界の中では特徴を作って他とは違うというところを出すべきですね。それを作れたら他に比較対象がないので一番です。

そういう意味で一番を目指さなければいけません。ただ、こういう意味だけじゃなくても、単なる成績ではすべてを表せないとわかっていてもそれを目指すことに意義がないわけではありません。その中で見つけられることも多いはずですから。冒頭の政治家のように最初から目指さないというのは話なりませんね。これだから日本のアカデミアは強くならないといつも言われたりするわけですね。

(この記事は2018年9月3日 11:24 PMに公開したものに加筆・修正したものです)

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